今日は少しマニアックなのでご興味のある方はお読みください(笑)。
滋賀県はその位置条件から戦国期の武将たちからも重要視されました。
織田信長が安土城を築き、豊臣秀吉が長浜城に、明智光秀が坂本城に構えていました。
県内には中世の城郭及び城郭跡が1300余もあるといわれています。
coconocage2016新柄は、そんな歴史を表現すべく「石垣」をモチーフにしました。
b0367918_1674429.jpg
b0367918_1672941.jpg

石垣と言っても何種類かあり、今日は彦根城の石垣をポイントにご案内します。
まず表門橋の上から右側が「腰巻石垣」
b0367918_1681723.jpg

左側が「鉢巻石垣」と呼ばれ、関西ではほとんど見ることができないそうです。
b0367918_16922.jpg

そして表門橋を渡ってすぐのところにあるのが「登り石垣」。
山頂部から山裾に向かって縦に設けられています。
敵による斜面の横方向の移動を防ぐための設備です。
b0367918_1693924.jpg

堀も設けられ、当時は瓦葺きの塀が巡らされていたそうです。
彦根城では戦は行われませんでしたが、
こうした敵の侵入に備えた設備がたくさん残っているのです。

表門と大手門から敵の侵入路が交差する場所に位置する「天秤櫓」。
緊急時は落とすことができた廊下橋から見て、右側と左側の石垣の積み方が異なります。
b0367918_1610148.jpg

右側=築城当時からの「牛蒡積」
胴長の石が面積の大きい方を内側にして押し込まれています。
隙間が大きく多く見た目は弱々しく見えますが、実際にはかなり強固なんだそうです。
b0367918_16104392.jpg

左側=江戸時代(1854年)に積み替えられた「落とし積み」。
現代のブロック積みで最も一般的な積み方である谷積み(石を斜めにして積み上げる手法)、
乱雑で不規則なものが多い江戸期の谷積みは落とし積みと呼ばれています。
b0367918_16111117.jpg

太鼓丸の東石塁上という所の調査と修復が行われたそうです。
調査の最大の成果が、佐和山城から持ってこられたとされる瓦破片が初めて一定量出土したこと、
なかには豊臣秀吉が築城した伏見城でしか発見されていない瓦もあったそうです。
b0367918_16203227.jpg

彦根城は急いで作らないといけなかったので、
近隣の城郭から資材を寄せ集めたリノベーションしたお城ということをまた裏付けた、
ということでしょうか。そして、天守の石垣は牛蒡積みです。
b0367918_16113935.jpg

b0367918_1612390.jpg

何度見ても、クレーンなど重機のない時代にどうやってここまでのことができたのだろうか、
と先人たちの想像を超える知恵と労力に感心します。

<最後に>どうして彦根城の築城は急がれたのか?
彦根城は1600年の関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康が、まだ勢力のあった豊臣家(大坂城)と
西国の大名を監視するために幕府の仕事として井伊家に命じて築城させたと伝えられています。
彦根城を豊臣家との最終決戦の前線にすることを想定して軍事性が高められたと考えられています。
一刻も早い築城が望まれた彦根城の建築には佐和山城をはじめ、小谷城、長浜城、大津城など
といった近隣の旧城郭の石垣や建造物が使われました。
1607年頃には天守などの主要な部分が完成しましたが、
1614年から「大坂の陣」が始まったため工事が中断されました。
そして豊臣家滅亡後、彦根藩単独で工事が再開され、1622年頃、
築城開始から18年の歳月をかけて城下町を含めた城郭の全容が完成したのです。
[PR]
by coconocage | 2016-05-19 16:30 | 滋賀の歴史

甲賀忍者【滋賀の歴史】

戦国期、武将たちの天下取りの裏舞台で活躍した忍者は
日本各地で集団が形成されていましたが、中でも滋賀県の甲賀忍者は良く知られています。

嵐の相葉くんの、キリンビール 一番搾り「しあわせ一番町 滋賀づくり甲賀忍者」篇は
ご覧になったでしょうか?

coconocage2016の新柄のひとつが甲賀忍者の「手裏剣」なので、
偶然にびっくり&嬉しくなりました。
そして、嵐やキリンビールにあやかりたい!と切に願うのでした。

カラーはライムグリーン、イエロー、ターコイズブルーの3色展開。
少し見ていると手裏剣が、花に見えてきます。錯覚現象!?
b0367918_22473892.jpg
b0367918_22472863.jpg
b0367918_22471822.jpg

[PR]
by coconocage | 2016-05-15 07:31 | 滋賀の歴史